流転 57

パチンコ屋と、一般のお客さんと、スロプロとゴト師の関係を記す。

100万円現金を打ち込まれたパチンコ屋は、そこから三割の30万円を黙って懐に入れる。

残りの70万円をプロと一般のお客さんで奪い合う事になる。

この当時のパチンコやスロットは知識や技術を持っている者が圧倒的に勝ちやすい時代であった。

パチンコ屋は10台のスロット台があれば、出やすいと言われる設定6を、1台から2台入れる。

この台を研究熱心なスロプロが押さえる可能性は高い。

残った台は、勝ってもチョボ勝ち、負ければガッツリ…

そんな状況が現出する。

長い目で見れば、一般のお客さんは、勝てない事が打つ前に決まっているような物である。

そこにゴト師の僕達が入り込む。

僕達が抜くお金はパチンコ屋が三割を抜く前のお金である。

100万円からゴト師がいくらかを抜いた後でもパチンコ屋は自分達の三割をしっかり抜く。

当然、スロプロや、一般のお客さんが奪い合うお金は、70万円よりも下になる。

一般のお客さんに関して言えば悲惨のひと言である。

ゴト師は捕まる可能性があるとは言え、これは食物連鎖では無い。

ゴト師は、捕まろうが、どうなろうが、誰の懐もうるおさないからである。

僕やゴト師は万人にとって害虫であった。

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金銭的な流れだけを見るとゴト師に損害は無いように見える。

店からもスロプロからも一般のお客さんからも恨まれるだけの存在のはずの僕が、なぜパチプロやスロプロ達を嫌うのかには明確な理由がある。

プロと呼ばれる人達の目が邪魔なのである。

彼らは押しなべて店の全てを観察する目を持っている。

どの台がどんな出方をしたのかや、どの台が現在どの設定なのかなどの、稼動状況を自分の台を打ちながらも看破して見ている。

更には、その台に誰が座っていたのかや、その台が良い設定だと思えば打ち手がどくのを待っている。

朝は早くから店前に並び自分の狙い台が取られないかと人を警戒している。

これらの目が邪魔なのである。

本当に稼ぎを揚げているスロプロから見ればゴト師など丸裸であった。

ゴト師は設定が1だろうが6だろうが出せる道具さえあればお構いなしに出せる。

言ってみればゴト師はスロットなどしていない。

分かりやすく言えば、自動販売機から直接お金を抜き盗っているのと同じなのである。

スロットを打つのは、お金を抜き盗る為の、ただの手順であった。

これが、ゴト師を僕が、コソ泥だと思う理由である。

ゴト師はコソ泥だが、スロプロはパチンコ屋の主である。

主の目から見ると常識では有り得ない出し方をしているゴト師がよく見える。

自分達のデーターや読みで設定が低いと察知すれば主はすぐにソノ台を捨てる。

そこに偶然ゴト師が座る。

ゴト師は設定などお構い無しに出し捲くる。

主は、あれ?と思う。

自分のデーターや読みが間違ったのかと疑問に思う。

ゴト師が箱を積み上げれば積み上げるほど、主は疑問を深くして観察する。

しかし、その日一日で気付かない事は普通に起こる。

ゴト師も気は使っているからである。

主は、ゴト師が帰った後も、データーを頭に呼び出しながら、その台を観察し続ける。

そして閉店間際にその台のデーターを取って帰る。

家に帰っても主は考える。

疑問はまだ疑問のままである。

次の日の朝早くから主は店前で並んでいる。

そこに昨日のゴト師がノンビリ来る。

あいつ昨日出した奴だ…

そう主は認識する。

主は朝から店中を観察している。

ふと見ると昨日出していた奴がまた出している。

自分がゴミだと思った台で…

疑問は疑いに変わる。

今度は自分のデーターを疑うのではなく、人を疑って観察する。

ゴト師はすっかり丸裸であった。

本物の主の疑いの目から逃げ切れるゴト師は少ない。

主は縄張りを踏みにじられる事が自分の死を招く事を誰よりも知っている。

主は、確信を得て、ゴト師への攻撃を開始する。

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