ほとんどの打ち子志願者達が絶句する。
中には言い返す奴もいた。
「疑うのかよ!脅し過ぎだろ!そんな条件じゃやれねーよ!」
「ならやるな。お前はカードが怖いから、こんな安いゴトをするんだろ?ビビりが生意気言ってんじゃねえ。それに脅かしてるつもりはない。ホントに起こる事だから予告してるんだ。喋るつもりなら他のゴトが出るまで待て。僕もお前の指や腕をちょん切ったりするのは忍びない」
似たような事を言えば誰もが黙り込んだ。
黙り込む意味は恐ればかりではないであろう…
しかし条件を聞いて打ち子を辞退した奴はいない。
みんな腹は空いているのであった。
目の前に、手をつけてはいけない、一つのパンがある…
腹のふくれた人間が見れば、それはただのパンに見える。
しかし何日も食べていない人間から見たパンは命の糧である。
どんな事をしても食べようとする。
それを僕は罪だとは思わない。
人を傷つけずにパンを口にするならば許されるとすら思っている。
手をつける事が悪事だと知っている善悪の分かる人間は我慢して飢え死にするかもしれない。
しかし僕の周りに居る人間達は物も考えずパンに食いつく奴らばかりであった。
生き死にが掛かれば人間の善悪の常識などあっさりとくつがえる。
僕にはそれを責める事が出来ない。
飢えた人間の目の前にパンを置いた奴が悪いと思う。
作らないで良い罪を作った罪は大きい。
まだまだ生ぬるい。
飢えた手下達にはパンが見えている。
パンが丸いままなら切って食べれば食べた事を知られる。
しかし既に切られているパンならば、切り口を薄く切って食べる事でバレない可能性がある。
腹を減らした臆病者は、最初は薄く切って食べるだろう。
しかし味をしめた人間は段々とパンを厚く切るようになる。
それが僕達ゴト師である。
完全に金庫の奥深くしまう必要がある。
新しい罪を作り出す事は僕の損害につながる。
泥棒ゴトにはお金をごまかす方法がいくつもあった。
簡単なのが、初当たりを引くまでに使った金額のごまかしである。
セットを数回失敗したと言えば良い。
数千円ごまかせる。
もう一つが最終的に換金したお金から数千円を抜く方法である。
どちらも自己申告なので裏日男や裏中男の裏ロムグループではあっさり見逃されているようであった。
打ち子も派手にやらない様に気をつけて、ほとんどの奴らがやっていた。
裏ロムグループも打ち子も許容範囲だと思っているように見えた。
その甘さが新しい罪を作る事に彼らは気付いていない。
それこそが、薄く切ったパンなのである。
僕はその甘さすら許さない。
ひと切れのパンですら、手を付ければバレる事を分からせる。
実務的に無理な事を、ハッタリをまぜて言った。
「裏ロムを付けてる店は全部店長クラスの奴と話しを付けてる。一円でもごまかせば命取りになる。分かったな」
打ち子志願者が言う。
「分かった…」
彼らが分かっていない事など僕には分かっている。
スキがあれば必ずやる。
やるが必然なのである。
人によってパンの厚みが違うだけである。
店員としか話しが付いていない事は打ち子に漏らすなとリカちゃんに強く言ってある。
彼女も打ち子に対しては僕と向く方向が同じである。
店長クラスの人間と話しが付いているとだけ打ち子に伝えて一回目のゴトに向かわせる。
リカちゃんと組んで取り付けた道具は全てハーネスだったが裏ロムだと打ち子には言った。
情報の全てを打ち子に明かす事は得が何も無いからである。
真実の情報は全て霧の中に隠す。
一回目の打ち子に全ての神経を注いだ。
最初が肝心である。
甘く見られてはいけない。
店長クラスの人間と話しが付いていると言う事は泥棒を防ぎやすい。
下っ端の店員達は交代制で帰るが店長クラスの人間だと店によって勤務形態が違う。
事務所内で仕事をしていてホールに出ていない事もある。
打ち子達は見えない霧の向こう側を想像するしかない…
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